……ここに迷いこんでしまった方へ。
こちらは、わたしがすごく偏ったこだわりを詰め込んだ訳のこだわりポイントをしつこく語る隠し記事みたいなところです(プライバシーポリシーなんて、たぶん求められていないサイトなので笑)
上清宝鼎詩
朝には雲夢のくもの中に立てば、さらさらと青く流れる鏡のようで、糸を垂れて二匹の鯉をつれば、その中には三元の仙境の書が入っていて、その篆字はうねうねと赤い蛇のようで、するする馳せて飛ぶ如くして、帰ってきて天老に問うてみれば、その深き意は窺い得ず――、金の刀は青い帛(きぬ)を裂くようで、その霊書はきらきらとあざやかなのでした。
その霊書のごとく十二の玉を飲んでみれば、忽ちにして仙人の房にあり。ぼんやりと暮れていく上を紫の龍に乗って飛べば、海気はひんやりと肌をさして、龍の子は善く姿を変じて、梅花化粧の娘子(おとめ)となって、私にきらきらとした珠たちを贈れば、その色はさらさら洩れる明月の如し。私にも紅い糸を裳に縫うように勧めて、そのまま二人で手を取りて行けば、下界にはわずかに足音だけが聞こえました。
朝披夢澤雲、笠釣青茫茫。尋絲得双鯉、中有三元章。篆字若丹蛇、逸勢如飛翔。帰来問天老、奧義不可量。金刀割青素、霊文爛煌煌。嚥服十二環、奄見仙人房。暮跨紫鱗去、海気侵肌凉。龍子善變化、化作梅花妝。贈我累累珠、靡靡明月光。勧我穿絳縷、繋作裙間襠。挹子以携去、談笑聞遺香。(無名氏「上清宝鼎詩 其一」)
まずは、いままでの訳で最も好きな訳といわれたらたぶんこれかもです。
とりあえず初手の「朝には雲夢のくもの中に立てば、さらさらと青く流れる鏡のようで(朝披夢澤雲、笠釣青茫茫)」がかなり踏み込んでます。「雲夢(夢澤)のくも」って、雲を漢字にするとくどいし、「夢澤(洞庭湖)」ではどこだか分からないので、「雲夢」のぬわっとした字のほうがいいかも……みたいな感じです。
あと、「海気はひんやりと肌をさして(海気侵肌凉)」は、なんとなく芥川龍之介「杜子春」をモデルにしてます(なんとなく洞庭湖が出てくるからだと思います)
鉄冠子はそこにあった青竹を一本拾い上げると、口の中に呪文を唱えながら、杜子春と一しょにその竹へ、馬にでも乗るように跨りました。すると……竹杖は忽ち竜のように、勢よく大空へ舞い上って、晴れ渡った春の夕空を峨眉山の方角へ飛んで行きました。……
朝に北海に遊び、暮には蒼梧。
袖裏の青蛇、胆気粗なり。
三たび岳陽に入れども、人識らず。
朗吟して、飛過す洞庭湖。(芥川龍之介「杜子春」より)
この「北海」だったり「洞庭湖」あたりの風景が、なんとなく混ざってしまって、しかも紫の龍にのって飛んでいく感じも似ています……(「ひんやりと肌をさして」も「さして」じゃないと忽ち感が無い)
あと、この訳で個人的にじつはもっとも上手くできたとおもうのは「梅花化粧」の造語ですね(笑)この雰囲気はわかるけど、奇怪な造語がでてこないと、たぶんこの詩は降霊術の奇妙さ・奇怪さが出ないとおもう(あと、ここだけ七五調になっていて、見せ場ですよ感がある)
もうひとつ褒めるとしたら「その玉はさらさら洩れる明月の如し(靡靡明月光)」のぬれた耀きの不気味なつやっぽさですかね(ひとつの訳にこんなにもいろいろな遊びを詰め込むのはめずらしいかも)
金石の礫
龍はもともと水に棲んでいるのだが、これは火神を束ねるもので、大きいものはうねうねと舞い、小さいものはうようよとつづき、群がって天の内にて闇雲と争えば、きらきらとして神々しく金石の礫を撥ねさせたよう――。
天上の衣のひらひらと低く垂れるに似てきしきしと堅い光で締めたような、あるいは仙界の剣がちらちらと砕けて軋る如き銀の縄、灼け鐵の鎖をじろじろぎしぎしと廻らしたような――、あのドロドロと曇った海水も、さらさらと明るい光を映して次第々々に紅く黄色く金泥色に鎔けます、爆ぜて揺れて色が霽れます――。
その尾と頭が幾條もの絳い糸を絡み敷いてきしきしきしと鈴を籠めたような音がしそうな空に、金光の鱗がゆれる波ごとにかすめられて細い尾が小さく波の頭を擲って、ひらひらと高らかに馳せ上って、その口先に月がひとつ冴えました。
龍兮水之族、此忽糾火宗。大龍蜿蜒舞、小龍翩翻従。群龍闘一天、神哉勢飛衝。豈其天女織、金梭疾横縦。或有剣仙撃、銀索拖蓬鬆。烏雲蓋黒海、攬碎波千重。首尾並嘯響、鱗甲倐現蹤。高翔得意処、一珠吐月容。(清・呂星垣「盧太守崧分賦火戯即席呈四首 火龍」)
これも毒々しい良さがあると思います(笑)とくに「金石の礫を撥ねさせた」「灼け鐵の鎖をじろじろぎしぎしと廻らして」「絳い糸を絡み敷いて鈴を籠めたような音がしそうな」あたりはもはや勝手に書いてますね。
金石の礫・焼け鐵の鎖・鈴を糸で締め上げる……みたいなやや不快な熱さとか堅さのあるのが、なかなか好きです。あと、「金泥色・金光の鱗」みたいなどろついた色がいかにもぎとぎと感があって気持ち悪いです(鱗って、ぬめっているし……)
「鎖をじろじろぎしぎしと廻らして」も、鎖がじろじろ……ってすごく謎な訳ですよね(そもそも原文には鎖は出てこないで「銀索 拖 蓬鬆」なのですが、ところどころに鎖が締め上げすぎてわずかにのぞいた感というかね)
李芍亭の家で降霊術をしていたら、邱長春(元代の道士)を名のる者が降りてきて、筆がさらさらと動いて、その字は雨をちらしたような自在さだった。
ある人が丹薬のつくり方を訊くと、その霊は「丹薬づくりとは、金石を焼いて錬ることですが、仙書などで云う炉・鍋・鉛・丹は、どれも喩えですから、本当に焼いて錬るわけではありません。術を好む者たちがいろいろ怪しげなことをして、むしろ変な薬を作っていますが、そもそも金石は熱く燥いていて、さらに火で溶かせば、でらでらと煮え上がって、血脈がふくらみ、効果があったように思えますが、本来の気を喰いつくしています故、禍を長く残します。花を育てる人が、硫黄をあげると、真冬でも花を咲かせますが、咲いた後には、その樹ごと枯れてしまいます。どうやら強い熱を入れて、むりやり精華を湧かせていますので、もっている力を吐きつくして死なせてしまうのです」と書いていた。
李芍亭家扶乩、降仙自称邱長春、懸筆而書、疾於風雨、字如顛素之狂草。客或拝求丹方、乩判曰「……丹方是焼煉金石之術也。参同契爐鼎鉛汞、皆是寓名、非言焼煉。方士転相附会、遂貽害無窮。夫金石燥烈、益以火力、亢陽鼓盪、血脈僨張、故筋力似倍加強壮、而消鑠真気、伏禍亦深。観芸花者、培以硫黄、則冒寒吐蕊、然盛開之後、其樹必枯。蓋鬱熱蒸於下、則精華湧於上、涌尽則立槁耳。」(清・紀昀『閲微草堂筆記』巻九)
降霊術系の話、好きすぎる……。こちらの訳で気に入っているのは「でらでらと煮え上がって、血脈がふくらみ(亢陽鼓盪、血脈僨張)」です。でらでらって、燃えるような暑さとあやしく膨らむ感じがまざっていてすごく再現度が高い気がするというか。
あと、「むりやり精華を湧かせていますので、力を吐きつくして死んでしまう(精華湧於上、涌尽則立槁)」の「吐き尽して」だったり、「本来の気を喰い尽してしまいます(消鑠真気)」が不気味なんですよね(こういう怖さがさらっと出てくるのが、降霊術というか)
明末清初
四十もある蘭江の瀬のうち、石塘はもっとも恐ろしい難所で――、さらさらと白い絹を敷きつめたごとき堤のそばには、ぐるぐるとした流れが岸を斬るごとく馳せていて、長い雲がどこまでも漂うごとく、するどい崖の下をごろごろと駆けていく。
蒼く黒い水は龍蛇さえも凍えさせるほど深くして、疲れてひっくり返りて路に打ちあげられるかと思うほどで――、また大鯨のがぶがぶと暴れて、口を尖らせて川底にて遊ぶごとくして、流れは乱れて巌の罅(ひび)に差しこみ、ぎりぎりとして割くような声をさせて、甕を砕いてごろごろとして、大鐘を噛み割りて白い牙をむく。
亀なども避けるほどの荒いところにて、小舟などは近寄らず、百丈ばかりの流れにて千人があつまっても、わずかに進んで流されるばかりで、こんなふうに疲れ果てながら一日が過ぎて、あの灔澦の水もこんなふうだったのかもしれない……。
四十蘭江灘、石塘最奇忤。匹練偃重隄、灝流截奔鶩。長雲奔陂陀、断岸沈轗軻。恍疑潜虬寒、暴甲横江路。又如渇長鯨、厲吻馮川過。乱流攻衆罅、拗鬱声噴怒。剖甕鞳噌吰、蠡鏞呈噛蠧。黿鼉未敢遊、舴艋詎能渡。百丈集千夫、尺寸費朝暮。伶仃古所歎、灔澦従兹賦。(明・徐遠「石塘浜」)
これは子音の並べ方がすごく凝っている。
「さらさらと 白い絹を 敷きつめたごとき 堤のそばには / ぐるぐるとした 流れが 岸を斬るごとく 馳せていて / 長い雲が どこまでも 漂う ごとく / するどい崖の下を ごろごろと駆けていく」って分けてみると、澄んだ子音(s)・細くて固い子音(k)などの間に、重くて太い子音(g・d)などが混ざっていて、がたがたと頽れた川みたいになっているかもです。
あと、「ひっくり返りて」の書面的なのか口語的なのか分からなさとか、「大鐘を噛み割りて(蠡鏞)」の太い凄まじさがなんとなく好きかもです(あと、大鐘を噛み割るって、ざらつきがすごそう)
山の雲はぼやぼやと白くして、山なのか水なのかもわからぬほどで、濤の声は天の風のようにもみえて、まわりはどこまでも雲ばかりなのでした。
渓雲淼淼白、不辨山與水。濤声疑天風、身在雲霄裏。(清・胡明遠「屯渓」)
これも音が妙に凝っているかも。まず、それぞれの句の初めが、すべて「a」なので、ぼやぼやと湿ってあふれた様子に似合ってそうです。
あと、「濤の声は天の風のようにもみえて(濤声疑天風)」も、一見して何がでてきたのかわからないめちゃくちゃさがいいと思います。このぼんやり雲だらけなのが清代初期っていうイメージあります(特にやや蒼白いというか)