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こちらの記事では、初唐末期の駢文についてみていきます。初唐(618~712)というと、初唐四傑(王勃・楊炯・盧照鄰・駱賓王)が有名ですが、この四人はどちらかというと600s後半あたりに生きています。
ですが、600s末~700s初め(則天武后の時代)になってからも、まだ初唐はつづいています。そして、この時期の様子についてはこんなふうに云われています。
王楊盧駱はあわせて「四傑」と呼ばれていたが、そのあとの世代の崔融・李嶠・張説などはいずれも四傑をすごく愛んでいた。
炯與王勃、盧照鄰、駱賓王……亦号為「四傑」。其後崔融・李嶠・張説俱重四傑之文。(『旧唐書』巻198 楊炯伝)
というわけで、初唐末期の人たちが、王楊盧駱のどこを真似して、どこが違っていたか――みたいなのをみていきます(ちなみに、712年の玄宗皇帝の即位後も、まだ初唐育ちの人がほとんどなので、雰囲気はすごく初唐です)
崔融
まずは崔融です。なんとなく少し色のうすい楊炯――みたいな気がします♪(あえて、さっきのリンク先での楊炯とおなじく少室山の神姫を讃えている碑文でいきます)
九方の陸は地 阻しくして、五岳は天まで届くほどだけど、龍などは洞穴に住みて、日月は仙宮霊台をめぐるので、さらさらと雲霧を洩らして、ひらひらと雷を吐き出すので、笙歌のようなものが鳴るような、鍾鼓のようなものが落ちるような――。
珠の簾はひらひらと薄くして、玉座はひっそりと青い霧を帯びて、金翠のかざりは玓瓅として、羅い縠はわずかに明いていて、儀形の像は立つごとくして、銅の侍衛も歩くごとく――、しんしんとして霧が鳴れば、ひらひらとして声も無し。
九州地険、五岳天中。蛟龍洞穴、日月仙宮。蓄洩雲霧、震蕩雷風。笙歌近接、鍾鼓遥通。
珠簾洞巻、玉座含清。金翠玓瓅、羅縠軽明、儀形若動、侍衛疑生。依稀有物、惝怳無声。(崔融「嵩山啓母廟碑」)
……ふつうにすごくいい。とくに「日月は仙宮霊台をめぐりて、雲霧をさらさら洩らして、雷風を吐き出すような(日月仙宮、蓄洩雲霧、震蕩雷風)」あたりの青霧黄雷・紫霞翠月がのろのろ絡みあっている感とかがすごくいいです。
ちなみに、楊炯「少室山少姨廟碑銘」でも「山河はうねうねと支えめぐる如くして、日月星緯も白々と経巡るような――(山河翼戴、星緯塩梅)」みたいなところがあるのですが、なんとなく楊炯のほうがぎらぎらぎしぎしと凄まじくて仰々しい感じありませんか……。
あと、崔融の「しんしんとして霧ばかりで、ひらひらとして声も無し(依稀有物、惝怳無声)」が、なんとなく楊炯の「鬱々たる霊山、ごつがつたる巌石(鬱鬱霊鎮、岩岩積石)」を少し霧で淡くしたver.みたいにみえます。
まぁ、楊炯って、かなり「重くて堅い」ので、これくらい薄めてもほどよく味わい深いです。
張説
つづいては、張説です。こちらは、やや盧照鄰のあでやかな極彩色の植物みたいな色かもです。
内侍の尹鳳翔よりいただいた令状にて、臣は唐昌公主さまの花燭御姿をみさせていただくことになりました。恐れ多くも、上帝の貴妹の嫁がれるときには、大宰相も送行るといいますが、寵臣に非ざれば、瞻ることもかなわない絳燈花室の御姿儀にございます。
まして臣めは老いて帰りたる老臣にして、たちまちにして再び朝請の恩を受けて、老い疲れたる羸驂の如くして、ふたたび肅雝の礼に参らせていただくのは、鴻私のめでたくして、枯瘁のふたたび芽を出だすごとき僥倖にて御座います……。
内侍尹鳳翔宣敕、賜臣観唐昌公主花燭。伏以天人下嫁、王宰送行、苟非栄寵、何階瞻望。臣免帰餘叟、忽承朝請之恩、廃賀羸驂、復睹肅雝之礼。鴻私所被、枯瘁生光。(張説「謝觀唐昌公主花燭表」)
こちらは、まず「花燭(婚儀用の飾り蝋燭)」って、じつは唐代の駢文にめったに出てこない語彙なのですよね……。花(模様がある)っていうところが、すごく妙な植物っぽいねばっこさと、もわっとした明るさに似合っていて、かなり宮中っぽいです。
しかも、「枯瘁(痩せた枯れ木)」だったり、「羸驂(老いた痩せ馬)」あたりの老木の幹みたいな色と、「花燭」「天人(上帝の娘)」などの明るいメロメロしている色がまざっているのが、老木と花みたいな取り合わせで、すごく技巧的です。
ちなみに、盧照鄰もかなり「雲をまとった絳い飾り窓は、ねよねよと襞成す堞塀をめぐらして、さらにきらきらと繚繞やかに濡れていて――(雲窓綺閣、負繡堞之迤迤、……帯金隍之繚繞)」みたいな、ぬわっとした花の中みたいな色&うねうね感を好んで用いています。
もっとも、盧照鄰の全面ねろねろ濡れている感にくらべると、すこし「肅雝(きちんとした花の御灯り)」「鴻私(おんおぼえ)」などの色味のうすい語彙も入っています……。
李嶠
つづいては李嶠です。こちらは、太平公主(則天武后の娘)が、則天武后の崩御後に、陵墓の近くに住むことを願い出たものの代筆です(なんとなく駱賓王のがさがさと荒涼感に近いかも)
妾は生まれてより武后様より愛されて、恐れおおくも皇極に居させていただいた身なので、その恩は返し切れず、上かな乾蔭を傾けていただいたのに、天に泣きても収まらず、地を扣いても終わらず、蓼き草を飲むごとく心を崩し、荼草を茹むごとくやり切れないのです――。
京の洛陽から離れて、咸陽の墓所にかくれられるときには、気も朔りて堪えられず、その御姿はしだいに遠くなり、晨ごとの光のしだいに重なりて、さらに季節の過ぎていくのを悲しむのですが、目をあげればまだ木々は立ち枯れたようで、途に出ればがさがさと殞裂われたごとくなのです……。
妾生涯有縁、仰繋皇極、孝行無感、上傾乾蔭、号天罔極、扣地不追、集蓼崩心、茹荼泣血。自攢開東洛、紼下西秦、気朔遄移、光霊浸遠、怨晨昏之易隔、悲節敘之難留、挙目摧傷、触途殞裂。(李嶠「為太平公主請住山陵轉一切経表」)
こちらは「天に泣きても収まらず、地を扣いても終わらず、蓼き草を飲む如くして、荼草を茹む如くやり切れず――(号天罔極、扣地不追、集蓼崩心、茹荼泣血)」が、すごくがさがさとした中に草がわずかにぼそぼそとしている雰囲気ありませんか……。
あと、「朝ごとの光のさらに重なりて、季節はただ過ぎていくだけで――(怨晨昏之易隔、悲節敘之難留)」が、とてもがらんとしています。これが、駱賓王の「風ばかりが遠く距てていて、山河は萬里にがさがさとして……(風壌一殊、山河萬里)」みたいです。
もっとも、わずかに朝の露がぬれていたり、みじかい草がぼそぼそしていたり……といくらか荒涼感が薄まっているかもですが……。
蘇頲
つづいては、こちらの蘇頲です。この人は、なんとなくやや王勃らしいかもです。こちらは泰山での大祭を祝う賀表(挨拶状)です。
泰山での天地大神の祭りは、まさに天下に並ぶもの無くして、王者の盛典と伺いますが、さらに開元神世の今上皇帝陛下は、天の如き大にて世を覆い、地の如き厚さにて世を載せて、車書のとどく前から諸方の国々は参り来りて、日月は高くめぐりて遠き民々も朔を同じくして、周は七百年と雖も、その期運は並ばず、漢は三萬里と云えども、その提封はとおく足りずして、今上陛下の大和は區寓に浹れ、その栄貺は陸川に彌くして――
臣聞封太山、至梁甫、天下之壮観、王者之丕業。伏惟開元神武皇帝陛下以天覆之大、地容之厚、車書不及而来王、日月所臨而奉朔。周年七百、未可語於期運、漢里三萬、曾何校於提封。大和浹區寓、栄貺彌川陸。(蘇頲「賀封禅表」)
このやたらと大きく延び広がっているのが、王勃の「高らかな想いは、目のとどくところにあふれるごとくして(長懐悠想、周覧極睇)」みたいじゃないですか。
しかも、王勃は「舟を江潭に泛かべて、邱壑を眺めやれば――(艤舟於江潭、縦観於邱壑)」「瀛洲方丈などの神山は、森々としてつづけり(瀛洲方丈、森然在目)」みたいな山々だけがぼんやりつづいている句をよく用いるのですが、蘇頲も「區寓・川陸」みたいな遠くからの山川みたいな様子が多いです。
もっとも、王勃って、もっと碧があふれるような水気を帯びているけど、蘇頲って「提封・區寓」みたいな、やや乾いた色の語彙もあります。
こんなふうに、初唐末期の駢文って、四傑らしさを受け継ぎながら、ややクセが弱くなっている感があります。あと、四傑はいずれも官位は低くて、地方の宴などでの駢文がほとんどだったのですが、ここであげた崔融・李嶠・張説・蘇頲などは、いずれも則天武后朝にて高官になっているので、四傑の味わいを宮廷風に混ぜている――というのが近いかもです。
あと、初唐四傑の駢文は、いずれもどこか死生離別の中のわずかな楽しみ――みたいな雰囲気があるのですが、初唐末期になるとその雰囲気を宮廷での行事に混ぜていくようになるのかもです。
(もっとも、四傑に比べると、一回り癖というか味が小さいかもですが、どちらかというと初唐四傑が異様にぐねぐねと大きく揺れていてギラギラしていたのかもです)
というわけで、かなりマイナーな時期についてでしたが、お読みいただきありがとうございました。