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こちらの記事では、隋の煬帝の詔勅についてです。ふつう、詔勅ってあまり味わうものではないのかもですが、煬帝の詔勅はなんていうか凄まじいです……(恐ろしいというか不気味というか)
というわけで、さっそくですが行ってみます。
六合を呑むような
まず、煬帝の詔勅は、一言でいうと「ぎりぎりぐねぐねとすさまじい気魄に溢れている」です。
これはふつうの詔勅をみていないと、なかなか分かりづらいかもなので、まずは隋の文帝(煬帝の先代皇帝)の詔勅をみていきます。
豆盧勣は、その器識は優長て、その気調も英遠て、藩部を馭いては、風化ること既に行し。西南にて乱が起きたときは、奄ちにして囲逼れるに至ったが、入りては守りて出でては戦い、大いに兇醜を摧ぎて、その貞節 雄らかにして曲がらず、その功はとても茂くして、使持節・上柱国の位を与える。
勣器識優長、気調英遠、総馭藩部、風化已行。巴蜀称兵、奄来囲逼、入守出戦、大摧兇醜。貞節雄規、厥功甚茂、可使持節・上柱国。(隋文帝「労豆盧勣詔」)
これも十分すごいですけど……。とくに「藩部を馭いる(総馭藩部)」とか「忽ちにして囲逼れる(奄来囲逼)」などはぎりぎりぎしぎしとした烈しさに溢れています。
ですが、煬帝はもっと裂くような凄まじさみたいなのがあります……。
劉方は肅みて廟略を承りて、恭みて天の討を行なえば、冰を飲みて遄邁み出でて、険しきところも夷かなる如くして、刃を摧くこと直指すごとくして、その不意を鋒して、怪魚妖物を殪り尽して、巣穴も傾き崩れさせたり。
一たび労きては平らげて、海外までも肅清かにして、身を用いて王事に仕え、その功はとても嘉めるべきものなれば、上柱国・盧国公の位を贈る――。
方肅承廟略、恭行天討、飲冰遄邁、視険若夷。摧鋒直指、出其不意、鯨鯢尽殪、巣穴咸傾、役不再労、肅清海外。致身王事、誠績可嘉、可贈上柱国・盧国公。(隋煬帝「贈劉方詔」)
気魄にあふれすぎてがたがたしています……。とくに「刃を摧きて直指すごとくして(摧鋒直指)」が、さきの「大いにその兇醜を摧きたり(大摧兇醜)」に似ているのですが、煬帝の「摧きて突き刺す」がなんていうかがつがつぶつかっている激しさというか凄まじい感がより出ているというか。
あと、煬帝の「一たび労きては平らげて(役不再労)」が、もう一つの「その功はとても茂くして(厥功甚茂)」に近いところかもですが、煬帝ってより平らげ潰した感がありませんか……。
さらに、煬帝の「巣穴も咸く傾きくずれたり(巣穴咸傾)」の荒れ感が凄まじかったり、「冰を飲みて遄邁み出でて(飲冰遄邁)」のわななき沸るのを無理矢理抑え込んでいる感が、その前の「遠国を馭いては、その治まること速やかにして(総馭藩部、風化已行)」にはない恐しいほどの気魄です……。
摧き荒した感だったり、殪り平らげた感とか、ぐなぐなと涌き乱れている恐ろしさだったりが、がしゃがしゃ捩じ込むように詰め込まれているというか……(不気味さというか凄まじさというか)
北巡詔
つづいても、煬帝の中でかなり短めの詔勅をみてみます。
古くは王は各地の風俗を調べるのは、兆庶を穏やかに住ませて、遐荒も安んじ集めるためだったと云う。蕃夷が附き従ってより、未だにみずから撫ることもなく、山東では乱があって、存恤むべきところゆえ、今 河北の地を安集じて、山西も巡省るつもりなので、官員たちは滞りなくされよ。
古者帝王観風問俗、皆所以憂勤兆庶、安集遐荒。自蕃夷内附、未遑親撫、山東経乱、須加存恤。今欲安集河北、巡省趙魏。所司依式。(隋煬帝「将北巡下詔」)
これはやや落ちついた雰囲気だけど、「巡り臨むべきところ(須加存恤)」「いまだにみずから観ることもできず(未遑親撫)」みたいに、みずから逼り出してくる感があって、遠い荒れ地(遐荒)までぐしゃぐしゃと呑み込むような感があるというか。
ちなみに、先代の隋文帝だと、なんとなく一つのところにじっと止まっている感があるかもです。
六月は物が育つときではあるが、この時は雷霆もよく起こるのだから、天すらこの炎陽のときに威怒を震わせるゆえ、天に合わせて行えば、何も悪いことは無いだろう。
六月雖曰生長、此時必有雷霆。天道既於炎陽之時、震其威怒、則天而行、有何不可。(隋文帝「報趙綽詔」)
こちらは「この炎陽の中で恐ろしき怒りを震わせる(於炎陽之時、震其威怒)」みたいに、なんとなくごってりと重々しき威厳がある――みたいな雰囲気だけど、煬帝ってもっと先ほどの「険しきところも夷らかなる如くして、海の外まで肅清にして(視険若夷、……肅清海外)」もやはりみずから絡め取るように這い出して延びている感がすごいというか。
しかも、「遠い荒れ地(遐荒)」とか「険しいところにある棘を摧き割りて妖魚大獣の巣を掘り散らして覆し――(視険……摧鋒……鯨鯢……巣穴咸傾)」みたいな険しいものを潰してくる感があるんですよね……。
ちなみに、煬帝はかなり詩の名品も多かったりします。
梅の実がうれて雨がふれば麦は黄色くさらさらとぬれて、青い楓が蕭々と明るく江水はつづいていて、高い楼はきらきら濡れて淡いひかりをおびていて、室中の花簟・羅幃は夜に澄むようなので、小さな池に日が落ちる前は鳬ばかりが舫に止まり、緑の水がそよろそよろと裳裾の如く揺れにけり。
あぁ、これが扶桑の碧海の日暮れの色だとしたら、蓮の実なども実らぬ雨の海――。
黄梅雨細麦秋横、楓葉蕭蕭江水平。飛楼綺観軒若驚、花簟羅幃当夜清。菱潭落日双鳬舫、緑水紅妝両揺渌。還似扶桑碧海上、誰肯空歌采蓮唱。(隋煬帝「四時白紵歌 其二 江都歌」)
なんとなくの雰囲気だけど、煬帝の詩って、「青い楓がさらさらと明るく江水はつづいて(楓葉蕭蕭江水平)」みたいな大きい中(江水)に小さいものがたくさん含まれている(青い楓など)――というものが多くて、どろどろとあちこちを呑み込むような詔勅に似ているんですよね……。
こちらの詩でも、「花簟と羅幃(花簟羅幃)」だったりの小さい玲瓏感と、「扶桑の碧海の上(扶桑碧海上)」みたいなどろどろ大きいものが妙に隣り合っていて、なんとなく六朝の終わりの大きくまとまっていく雰囲気に似ているなぁ……とかおもっています。
というわけで、かなり短めの記事でしたが、隋煬帝の詔勅って、かなり異色の味わいがあるので、なんとなくでも感じていただけたら嬉しいです。かなり狭く謎な回かもですが、お読みいただきありがとうございました。