盛唐~中唐の駢文

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 こちらの記事では、盛唐~中唐の駢文についてみていきます。盛唐(712年の玄宗即位~安禄山の乱)・中唐(安禄山の乱~800s初め)って、ふつう駢文は空疎な儀礼用文体になっていて……に云われますが、むしろ公的な実務用文体としてかなり用いられていたかもです。

 あと、この時期は、詩と駢文の作風が似てくるようになります(逆にいうと、六朝くらいまでは同時代の人はほとんど同じような駢文なのです。初唐四傑くらいになってしだいに作風のちがいが出てきて、初唐末期の則天武后時代あたりに好きな雰囲気に寄せるようになります)

初唐末期の駢文 「ぬぃの中国文学資料庫」にご来訪ありがとうございます。  こちらの記事では、初唐末期の駢文についてみていきます。初唐(618~7...

李白

 まずは盛唐の李白です。こちらは安禄山の乱での檄文ふれぶみです(九江神:長江中流あたりに九つの川が合わさるあたりの長江の神です)

九江神の霊を祀る――。の神は乾坤てんち包括からめて、山川を平准ささえて、三峡サンシア深壑たにを奥におきて、九つの川道みずあいつぎて南維みなみ綱紀たもちて、東の海まで流れきて、春秋ごとに壇を設けて、香のけむり多くして、今 萬乗おおみかど 傾かせて給いて、山陵に墋黷すなけむりくらく、宇宙そらのほし 倒懸くずれるごとくして、欃槍あやしきほしいまだ消えず、世のものは結憤みなうらみて、元凶よからぬものからむと思えば、その洪濤なみ 渤潏ぞよぞよとして高くきて、狂飆するどきかぜ 振驚ざりざりと木々を揺らせり――

敬祭於長源公之霊。惟神包括乾坤、平准天地、劃三峡以中断、疏九道以争奔。綱紀南維、朝宗東海、牲玉有礼、祀典無虧。今萬乗蒙塵、五陵墋黷、……宇宙倒懸、欃槍未滅、含識結憤、思翦元凶。……而洪濤渤潏、狂飆振驚。(李白「為宋中丞祭九江文」)

 この凄まじい洪濤なみなどが大きくふくらんだところをみせる感じが、実は李白のふだんの詩にもよく似ています。

秋浦水には白猿が多くて、超騰ひらひらとして舞う雪のごとし――。枝の上の子を引きあげて、水中の月をすくい呑む。

秋浦多白猿、超騰若飛雪。牽引條上児、飲弄水中月。(李白「秋浦歌 其五」)

 このふわりと猿がおおきく手をのばしている感じが、さっきの大きくふくらんだ洪濤や黒々と舞う墋黷すなあらしみたいにみえます……。あと、「そらの星も頽崩くずれる如くして(宇宙倒懸)」もさきほどの「水中の月をすくい呑む(飲弄水中月)」みたいに大きく傾いているかもです。

 李白って、かなり険阻あやうげで大きくゆれたような場面をすごく多用しているかもです。

王維

 つづいては、おなじく盛唐の王維です(こちらは送別の挨拶用駢文です)

咨爾あぁ 多くの官たちが方夏とおくちかくおさめていく中で、従弟わがいとこの惟祥も、かねてより令聞よききこえはあって、成憲さきのきまりく奉じて、往いてはよくおこないてつとめ、人をいためず。獄貨よからぬかねは承け取らず、農食たみのことをひたすら滋碩おもんじていて、淮泗の水に浮びては、その波は浩然とろとろとして、海潮うみぎり乾坤おちこちしろくして、江城は泱漭あおいなみにちかくして、もとより美錦きらびやかなる地にてあなたはさらさらと襲ねり往きて、上官はその課事よきことを伝えて、いよいよその労を褒められむゆえ、行きてはよく勉めて、この日を大切にされよ――。

咨爾三事百辟、……以撫方夏。群従曰惟祥、旧有令聞、克奉成憲、往践乃職、無恫於人。獄貨非宝、農食滋碩、浮于淮泗、浩然天波。海潮噴於乾坤、江城入於泱漭。彼有美錦、爾嘗操刀、……上官奏課、国将大選爾労。勉哉行乎、唱予和汝。(王維「送従弟惟祥宰海陵序」)

 堅い……。でも、よくみると、「その淮泗の水に往きては、大きな波は浩然とろとろとして、海潮うみのなみはそよろそよろとして乾坤あちこちらして、江城はさらさらと瀾に洗われたり――(浮于淮泗、浩然天波。海潮噴於乾坤、江城入於泱漭)」がすごく王維らしい雰囲気重視の淡やかさです。

城壁かべの下では江水が蒼々として、江辺では黄鶴楼があるのだけど、その欄は朱色あかあかとして白いかべをめぐらせ、江水はさらにさらさらとながれているので、どらが鳴ればいよいよ発つときにして、楼のうえより見遣っていたけれど、城門などがしだいに楓木にかくされて、候吏みおくり人たちも蘆の水に遮られて、――ですがどうやら赴く先にても山水の紫翠いろきらびやかなことでしょう。

城下蒼江水、江辺黄鶴楼。朱欄将粉堞、江水映悠悠。鐃吹發夏口、使君居上頭。郭門隠楓岸、候吏赴蘆洲。何異臨川郡、還労康楽侯。(王維「送康太守」)

 こちらも「城壁の下では江水が蒼々として(城下蒼江水)」が「江城はさらさらと瀾に洗われたり(江城入於泱漭)」に似ていたり、「城門などがしだいに楓木にかくされて(郭門隠楓岸)」もぼんやりと楓林だけがきらめいているのが「もとより美錦な地にて(彼有美錦)」みたいというか……。

 ちなみに、盛唐あたりで詩は複雑な事情などを切り落としてひとひらの趣きだけを漂わせたようになっていくのですが、趣き担当は詩になって、どこかごたついた前後の事情とかも入っている実用担当が駢文――みたいになっていくのかもです。

参考:唐代の詩について(本館記事)

柳宗元

 つづいては柳宗元です(ちなみに、韓愈・柳宗元などは、古文を再興したことでも有名ですが、官人としての仕事では駢文もそれなりに残してます。こちらは叛乱鎮圧の祝賀です……)

皇はながくして其武おとろえず溵にいて淮に。既におおいてすすみ出でて、蔡をかこみて来たり。狡衆こずるきものらは昏嚚おろかにして、甚毒なめなめしきことう如く、狂奔叫呶ごたごたとさわぎきたりて、おおいに大刑に下すべし――。

おそれながらも命を承りて、皇の御訓にしたがいてゆく。既にするどくして攻め来たりて、の後に刃に下す。ならびたること嶷々ぎつぎつとして熊羆あらくするどきを用いて、ちからふくみてかたきかくし、いよいより伏せるを思えり。

皇耆其武、于溵于淮。既巾乃車、環蔡具来。狡衆昏嚚、甚毒于酲。狂奔叫呶、以干大刑。
愬拝即命、于皇之訓。既礪既攻、以後厥刃。王師嶷嶷、熊羆是式。銜勇韜力、日思予殛。(柳宗元「奉平淮夷雅表 其一」「方城 其二」)

(実はこちらは一応は詩なのですが、もはやほとんど駢文なので、駢文に入れてしまいました)

 まず、「溵水にいて淮水に于く」の遠くへだたっている様子が、柳宗元の詩に似ています。さらに「既礪とぎすさみて嶷嶷ぎしぎし」のするどく堅い雰囲気も柳宗元らしさを感じさせます……。

上苑みやのなかにて年々としごと物華ひらひらとして、たちまちのうちに天涯に飄零ただよいて久しく――いつまでも龍城郡みなみのはてにいるので、庭の前には木槲かしわの花ばかりが咲いているけれど――。

上苑年年占物華、飄零今日在天涯。祗因長作龍城守、剰種庭前木槲花。(柳宗元「種木槲花」)

 こちらも「忽ちのうちに天涯に流れ来て(飄零今日在天涯)」のへだたる様子があって、天涯(南の果てのほそい山崖ばかりな様子)もとても「嶷嶷・礪(礪:砥石といし)」に近いです。

 さらにちからふくみてかたきかくして(銜勇韜力)」も、「庭の前には木槲かしわの花ばかりが咲いて――(剰種庭前木槲花)」のぎしぎしと堅い中にひらひらと明るい花がふくまれているような、ぼんやり薄明るいものを湛えている感があるというか……(柳宗元のするどいのにどこか嫋々とした色が入っているのが、すごく好きなんですよね)

白居易

 つづいては、白居易です(実はかなりの駢文の名手だとおもいます)

鳴く鶴は陰処みえないところにいても、その声は外まで聞こえ、くろい豹は白霧の中にかくれて、その身をぬららかに耀つやめかすと云うが、これは退蔵みをけしてでも想う所がある故で、つなぎ止めるべきではない。

このもの道行こころざすものがありて、官情やくにんごとには心をかけず、太守がもちあげたのは既に知るごとくして、蒲帛ていねいまねきも行われたが、夫子むかしのひとも好むとおりに生きたのも既に知られるごとくして弓旌こひねがいたるたのみすらもみず、俗吏の労多きを厭いて、みずから巫家を名のりて自穢しりぞきたり。

これはみずからげてしりぞくためにして、これを取りたてていつわりのつみに落すのは、国中でも咎め得ぬことなので、罪にしてしまうのは良くないだろう。

鳴鶴処陰、声聞于外、元豹隠霧、楽在其中、此将適於退蔵、彼何強之維縶。景業敦道行、志薄宦情、太守以挙爾所知、将申蒲帛之聘、夫子以従吾所好、不顧弓旌之招、懼俗吏之徒労、引巫家以自穢。冀其言遜獲免、翻以行詐論辜。……天子尚不違情、功曹如何按罪。(白居易「得景有志行、隠而不仕、為郡守所辟、称是巫家、不當選吏。功曹按其詭詐、景不伏」)

 これは少し状況を出さないとわからないかもですが、景というものがもともとみずから道行おもいめざすものがあって、官人になることは避けていたけれど、郡の長官からばれることになり、みずから巫家の生まれゆえ官にはなれません――として断ったので、巫家などという嘘を云っているとして罪にかけられそうになって……という流れです。

 みていて興味深いのは「太守は丁寧に招きて、それでも夫子は好むとおりにも生きていて(太守……将申蒲帛之聘、夫子以従吾所好)」みたいにそれぞれの思いがのぞいているところです。

 この“それぞれの人の事情がのぞいている――”というのが、白居易の詩にもすごく似ています。

城上に鼕々どろどろと鼓が鳴りて、朝も衙坐ざぎょうにしてよる衙坐ざぎょうで、君のために慵不出でかけるひまもなく衙所やくしょまわりの花もみんな落ちてしまいました。

家はもともと陝西の生まれでしたが、いまは一たび河北に来りて、蕭條さらさらとして歳が暮れて、洺州めいしゅうでひとり暮れたり。

城上鼕鼕鼓、朝衙復晚衙。為君慵不出、落尽繞城花。
家寄関西住、身為河北游。蕭條歳除夜、旅泊在洺州。(白居易「城上」「除夜宿洺州」)

 外は雨にあったり雪になったり花が咲いたりしても、それぞれ事情があちこちに散らかっていて……みたいな感じが、すごく白居易らしいです。あと、余談だけど「蕭條として年が暮れて(蕭條歳除夜)」の雪まじりな夜がすごく好き……。

 というわけで、初唐くらいから駢文でそれぞれの味わいなどが出るようになってきて、盛唐~中唐になると駢文も詩と同じような雰囲気を出していくようになります。

 そして、趣き重視の詩・実務的なものを混ぜやすい駢文――みたいな分業がでてくるのかもです。かなり狭すぎる話ですが、お読みいただきありがとうございました。

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ぬぃ
こちらでは、中国文学のやや深く狭めな話をのせていきます(もっと分かりやすい話は、下のリンク先にあります♪)

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