「ぬぃの中国文学資料庫」にご来訪ありがとうございます。
こちらの記事では、六朝の中頃(とくに南斉~梁あたり)にかなり地方の任官をされて詠まれた風物などをみていきます。正直云って、別になにかまとまった結論が出てくるタイプの記事じゃないです。
まぁ、こういうタイプの詩って、あまり紹介されていないから、とりあえずのせておくのもありかも……みたいな感じでいきます。
というわけで、さっそくみていきます。
くずれた巌と根っこ
昧旦にして風がさらさらとさざなみを寄せて、江湖の上を漕いでいけば、西に流れていく波があったり、東に涌いていく瀾があったりして、近くの岸には枯れ草やら木々ばかりが並びて、遠くの峰はまだ煙ってばかりな――、緑の樹がななめの石に立っていて、丹崖から根っこばかりが垂れていて……。
昧旦乗軽風、江湖忽来往。或与帰波送、乍逐翻流上。近岸無暇目、遠峰更興想。緑樹懸宿根、丹崖頽久壌。(任昉「済浙江詩」)
この終わり方、絶妙じゃないですか(笑)とくに小さい崖がくずれて赤土ばかりがのぞいて木の根っこが垂れている……という微妙にありそうな感じがたまらないです。
棹をゆるめていくらか寐り、汰を逆らいてざりざりと漕いでいく――。ひらひらと明るくして朝霞が濡れていて、ぼんやりと遠くに日がちいさくさしているような、万尋ほどの危うげな石が落ちてきそうで、百丈ほどの窪んだ潭がたまっていて、叢枝の上にはいくらか花が咲いていて、その下にはざらざらと蒼い淵が流れていきました。
弭棹纔假寐、撃汰已争先。敞朗朝霞澈、驚明暁魄懸。万尋仰危石、百丈窺重泉。叢枝上点点、崩溜下填填。(丘遅「夜発密巌口詩」)
この不規則な形がすごく面白くないですか。きれいに整っている庭苑などでは、ざらざらと荒れる瀾の上に花をおく――なんてないのかもですが、この取り合わせもめちゃくちゃな感が一回かぎりの任地への路でのふしぎさです……。
兹の山は異崿を挺てていて、ひとりで秋の雲の中に立っている。さらさらとあちこちに楚の浪が白くして、紛糺として風は入らず、峰は昼のごとく薄暗くして、その蒼い水は空の如く澄んでいて、鴎などが白々と飛べば、とおくに紅葉がみえるような――。
氛氳として紫漢からふるような――、雑沓として朱の城などにつもるような。たちまちにして銀台は高くして、にわかにして玉樹がしんしんと白くして、綿々として大きいみちを埋めて、昭々として四区に明かり。
兹山挺異崿、孤起秀雲中。陵池激楚浪、紛糺絶宛風。烟峰晦如昼、寒水清若空。頡頏鴎舞白、流乱葉飛紅。(劉𤦹「上湘度琵琶磯詩」)
氛氳發紫漢、雑沓被朱城。倏忽銀台搆、俄頃玉樹生。綿綿九軌合、昭昭四区明。(丘遅「望雪詩」)
この二つ、それぞれすごくいいところがあって、ひとつめは「霧をおびた峰は昼のごとく暗くて(烟峰晦如昼)」って一見するとすごく謎すぎませんか♪そのつぎの「水は空のごとく澄んで(寒水清若空)」というのも、すごく鈍く青い感じがあって、うす暗い色が出ているというか。
ふたつめは「ひらひらとして紫の薄闇から降るような……(氛氳發紫漢)」がすごくいいです。「紫漢」って、もともとは紫の耀きを帯びた天の川――みたいな様子なのですが、紫の星をおびながらぼとぼとと降る雪って、すごくきれいです。
そのつぎの「朱城(朱い城壁)」「銀台(銀の楼台)」とかも、ぼやぼやと灯りが多かったり、ひっそりと深い庭につつまれていたりする感じがよく出ているというか……。この街のなかで色がぼやぼや変わる様子がすごく雪ですよね……(まぁ、この詩はふつうに街だけど、雪の不規則な様子がすごくあって好き)
仄い路にはがけ頽れが多くて、叢つもの岩が長く低くもつれていて、石の藤はぐちゃぐちゃと引き絡まって、水辺の樹はごぞごぞと蟠る枝が多くて、海のうえでは昔からこのようで、江の上でもこんな浮嶼が幾つか。
仄径崩且危、叢岩聳復垂。石藤多巻節、水樹繞蟠枝。海中昔自重、江上今如斯。(范雲「登三山詩」)
こちらは「石の間の藤はぐちゃぐちゃと引き絡まって(石藤多巻節)」がいかにも実際にありそうです。この低く纏れた幹の固さが、すごくがたつく水辺に似合っているというか。あと「海のうえでは昔からこのようで、江の上でもこんな洲嶼がごそごそと……(海中昔自重、江上今如斯)」もそれぞれ微妙に異なりながら、いくつもならんでいる感がたまらないです。
霧だらけの石の巣
霧の夕に蓮がさらさらと蒼くして、霞の朝に日がわずかに照らして、花燭の夜には、軽扇が紅い妝を掩して、ひらひらとした衣は灼々と明るくして、席中にも花燭つややかにして、それでも悲しいのは門を出づるに及びて、長廊のうちを環佩が珊々然と鳴ること――
霧夕蓮出水、霞朝日照梁。何如花燭夜、軽扇掩紅妝。良人復灼灼、席上自生光。所悲高駕動、環佩出長廊。(何遜「看伏郎新婚詩」)
これもすごくいいです。婚儀の様子をみたときの話らしいですが、「霧の夕に蓮がさらさらと蒼くして(霧夕蓮出水)」みたいな霧のうすらさだったり、「それでも悲しいのは、門を出ていくときに、環佩がさらさらと鳴っているときで――(所悲高駕動、環佩出長廊)」のうす暗さとかがすごくいいです。
楓林は暖々として画きたる如く、沙岸はさらさらとして掃きたるごとく、がらんとして大石を臨んで、回るごとくして危い島があって、碧の草がとおくに虫などがいて、青い葭にも大きい鴇があつまっていて、徘徊としてしだいに初月がでれば、浸淫として春の潦は少なくして、物華はまだ艶然ならずして、春の風ばかりが月に明るいような――
蒼い潦れは霄岫につづいて、層嶺は鬱巑崱として、下にはぞよそよと海が揺れて、上には霊烏が舞っているけど、滇㴐として瀾が止まらず、鴻溶としてごろごろと巌を濡らせば、海塵が白く飛んできて、驚浪がちいさく白い浪を立てて、雲錦柄の曜るい石は、羅綾然として蒼翠を纏えり。
楓林暖似画、沙岸浄如掃。空籠望懸石、回斜見危島。緑草閑游蜂、青葭集軽鴇。徘徊洞初月、浸淫潰春潦。非願歳物華、徒用風光好。(王僧孺「至牛渚憶魏少英詩」)
蒼潦聯霄岫、層嶺鬱巑崱。下盤塩海底、上轉霊烏翼。滇㴐非可辨、鴻溶信難測。軽塵久弭飛、驚浪終不息。雲錦曜石嶼、羅綾文水色。(劉峻「登郁洲山望海詩」)
ひとつめは、まだ爛漫すぎない三月の初めくらいの春の枯野見というか、ふたつめは海塵がしらしらと舞っていて、それなのに五色の石がつやつやとぬめっている感が、すごく狭い地域の名所らしくないですか(笑)
ふつう、詩って全体の雰囲気が似たような句をならべていくのに、「楓林は暖かにして屏風の如く、沙岸はさらさらとして掃いたごとく(楓林暖似画、沙岸浄如掃)」の整ったおだやかさから、急に「浸淫として春の潦 潰くして(浸淫潰春潦)」のべちょべちょ感になるあたりがすごくいいです。
ふたつめも「ぞよそよどろどろとして瀾がどうなっているのかわからない(滇㴐非可辨、鴻溶信難測)」のあとに「ぬよぬよとして蒼めきて羅綾の如く――(羅綾文水色)」みたいなつややかな色が出てきたりと、すごく味わい深いです。
朝の雲が舟のまわりにたまりて、帝女廟ちかくの湘川の宿では、蓮ばかりが巫山の下に生えていて、荇が洞庭の腹あたりにもよもよしていて、軽薄しくここまで来てみて、千里ほど家から離れているけれど、舟がまたすすんでいくと、江上には葳蕤い竹ばかり――。
朝雲乱入目、帝女湘川宿。折菡巫山下、采荇洞庭腹。故以軽薄好、千里命艫舳。何事非相思、江上葳蕤竹。(呉均「登二妃廟詩」)
これも味わい深い(今回それしか云ってない)。まず、雲ばかりの帝女廟のそばの宿だったり、蓮ばかりの巫山ちかくの沼みたいなところとか、荇草だらけの洞庭湖の腹(具体的にどこだか謎だけど、ぼってりとたまった感はわかる)とか、あまりきれいすぎないのがすごく地方らしくて良き。
あと、終わりに竹だけが出てくるのも、なんとなく水をすすんでいくと竹だらけのところに入って――みたいにみえて好きです。
というわけで、まったくまとまりのない記事でしたが、すごく六朝中期のローカルな風景が好きなので紹介してみました。お読みいただきありがとうございました(めっちゃ余談だけど、江戸時代の北陸のほうの俳句で「若草や家のうしろは狐穴」という奇品があって、これに似た味があるとおもっている)