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こちらの記事では、晩清の王闓運(おうがいうん)の対聯についてです。(対聯:ついれん。対句だけで、名所・祝辞・追悼などをまとめたものです)
王闓運は、詩がすごく有名ですが、実は対聯もかなり魅力的で、“一目みただけで王闓運らしい――”という濃厚さがあります。
というわけで、さっそく紹介に入っていきたいとおもいます。
王闓運の詩
まず、王闓運らしさがよく出ている詩をみていきます。
ぐねぐねとして五つの峰の間を通り、うねうねとしている路があり、出入して行き来を重ねて、碧の壁にはねばねばとした蔓が垂れていて、長い苔はつやつや濡れて深く、夏冬とも無く木々が茂っている。
涌き出る水は奥に一すじなのだろうが、分かれながれてさらさらと小さい瀧は百を超えて、玉花は澄んだ水に臨んで、ちらちらと赤く青く光っているのでした。樵者は仙薬の花とも知らずに、龍の眠る淵は三つ並んでいずれも暗く、ひっそりとして十里ばかり――。千年を経て薄暗く、雲の中にあそぶ人は、たまにこの辺りを通るのかも知れず。
屈曲五峰間、盤桓一径通。出入迷往来、翠壁蘿蒙茸。條蘚萬古緑、安知夏與冬。峽渓惟一源、灘瀑百不窮。琪花潤鮮芳、仙薬秀青紅。樵童不解采、覆蔭三潭龍。蕭深十里寒、荒翳千年蹤。寄言青雲客、翔棲誰與同。(「方広寺至黒沙潭作」)
これは、方広寺(湖南省の衡山にあるお寺)なのですが、もともとそのお寺は、青・黄・紫・白・黒の五龍にゆずってもらった土地につくられたので、境内にはもともと龍が棲んでいたところとして、黒沙潭・白沙潭・黄沙潭などがあります(潭:淵みたいな)
そして、ぐねぐねと延びている感が「ぐねぐね屈曲して五峰の間(屈曲五峰間)」、きらきらぎらぎらと極彩色なのが「玉花は澄んだ水に臨んで、ちらちらと赤く青く光っていて――(琪花潤鮮芳、仙薬秀青紅)」です(方広寺はめずらしい植物が多いらしいです)
あと、ぐちゃぐちゃぎりぎりと搦み合っている感が「涌き出る水は一筋にして、分かれながれて小さい瀧は百を超えて――(峽渓惟一源、灘瀑百不窮)」です(ちなみに、さっきの黒沙潭・白沙潭・黄沙潭、石漳潭などが枝分かれしながらつづいている様子だとおもいます)
この“ぐねぐねぐちゃぐちゃぎらぎら感”が、すごく王闓運らしいのですが、この雰囲気、すごく魅力的だと思いませんか……。
あと、「ひっそりとして十里ばかり――、千年を経て薄暗く……(蕭深十里寒、荒翳千年蹤)」みたいな、どこまでも山林水沢だけがつづいている感じも王闓運にすごく多いです。物々しいというか、鬱勃としていて重い、みたいな。
なので、王闓運って、ぐねぐねぎちぎちと曲がり詰まっているような詩風というか、重厚でぎらぎらと濃厚な魅力があります。
ぎらぎらぎちぎち
というわけで、いよいよ王闓運の対聯です。まずは、李瀚章の悼辞をみていきます(李瀚章は、晩清の功臣 李鴻章の兄です)
陝を挟みて二人の大臣――、古今の臣に並ぶ例は無く、外事を任されては四方の変乱――、朝宵の憂いも見せず還り給へり。
分陝兼一相之権、今古帥臣無與比。専閫制四夷以外、夙宵憂畏有誰知。(「李筱泉」)
こちらは「陝を挟みて(分陝)」がすごくいいです。陝(河南省の山の切れ目にある台地)は、もともと周代の功臣だった召公・周公のふたりが、陝の西は召公、陝の東は周公――というように分け合ったところです。
ここでは、李瀚章・李鴻章のふたりが、召公・周公のようにふたりで大臣のようになっていた様子なのですが、あえて「陝」の地名だけを入れているのが王闓運らしいです。
王闓運はさっきみたように、ぐねぐねぎちぎち曲がっているものが大好きなので(笑)、「陝」みたいな固まった山の隙き間にわずかに空いているような狭い地名だけを入れています。
あと、「閫」はたぶん「門の外」みたいな意味です。ここでも門の外では、ぐねぐねと凝り固まった「陝」があって、「夙宵(朝宵)」ごとに物暗くて憂いをおびている……みたいな感じに結びつくのが、あやしい耀きを帯びていて、しかも物々しいです。
玉の湖にあふれる瀾のさらさらたる三万ばかり――、金の泥でちらしたる秘録のきらぎらしき五千年。
玉界瓊田三万頃、泥金神籙五千年。(「京師湖南会館聯」)
こちらは、北京につくられた湖南省生まれの人の互助会館にかざられた対聯です。「玉の湖にあふれる瀾(玉界瓊田)」は、湖南省自慢の洞庭湖です。でも、ただ湖の波ではなく、あえて玉のように耀いているのが王闓運好みです。
つぎの「泥金神籙」は、金の泥でちらし書きされた帳簿のことで、たぶん湖南の人々の命運などがぎらぎらと耀きながら記されている――みたいなことです。このどこか鈍くて重い耀きにあふれているのがすごく王闓運らしいと思いませんか……。
あと、金の泥が蛇のようにうねうねぐねぐねと揺れながらつづいているのも、いかにも王闓運らしい雰囲気です。
鉄の拍板、銅の弦――。さらさら流れる江を唄えば、金楼玉室にて、川遊びの歌の響きばかりがひんやりとながれるのでした。
鉄版銅弦、高唱大江東去。瓊楼玉宇、細聴水調歌頭。(「又江南館台」)
一見して、いかにも王闓運らしいです。まず、「鉄の拍板、銅の弦――(鉄版銅弦)」のずっしりと重くて、少し錆びたような色味が、さっきの詩の「ひっそりと暗くして十里ばかり(蕭深十里寒)」に似ていませんか(王闓運の色って、薄く濁っていて重いというか)
こういう鈍い色が入っていると、そのあとの「金楼玉室(瓊楼玉宇)」みたいな重い耀きが引き立つ気がしてきます。
あと、こちらは詞(宋代の妓楼の曲)の有名な句を切り貼りしてつくられているのですが、「大江東去・瓊楼玉宇」などは、北宋の蘇軾から取っています(「水調歌頭」は曲名です)
なので、こちらの対聯は、ほとんど蘇軾の句を貼りつけるようにしてできているのですが、王闓運はあえて「鉄版銅弦」みたいな鈍さを入れて、しかもすぐに長江の重く大きい流れ(大江東去)なのが、どこまでも山林水沢がつづいている感じ(蕭深十里寒、荒翳千年蹤)みたいにみえます。
蘇軾の作風って、もともと「雑多な世界の変化こそが、いつまでも変わらない姿なのだ」みたいな感じがあって、その流れつづける変化の多彩さが「大江東去」だったり、明月の夜のひとときの「金楼玉室」だったりします。
ですが、王闓運の作品って、さっきの詩もそうですが、あまりそういう感じはしなくて、どちらかというとぐねぐねぎちぎちと絡み耀く木々や水潭の色あいが主役になっています。なので、蘇軾の句のなかでも、自分の好みに合うところだけを選んでいるのが、王闓運らしさになっています(王闓運って、すごくどっしりしていて重く濃いです)
眉のまがりは淡い碧でほのかに烟る梅の月、篋(箱)の中にはふたつの鳥のきらきら耀く雲の色。
眉彎翠黛梅梢月、篋有鴛鴦蜀錦雲。(「沈子粹嫁女」)
こちらは結婚のお祝い用の対聯なのですが、わずかにこれだけでも王闓運らしさに溢れています。
まず、「眉のまがりは淡い碧で……(眉彎翠黛)」なのですが、そのあとに「ほのかに烟る梅の月(梅梢月)」なのがすごく綺麗です。碧色の月って、どこか薄雲を帯びているのが、とても妖しい極彩色っぽいです(このけばけばしいような、鈍く曇っている色が王闓運です)
そのつぎの「ふたつの鳥のきらきら耀く雲の色(鴛鴦蜀錦雲)」も、化粧道具箱(篋)の中にふたつの鳥が飛んでいるまわりに雲模様のある緞子のハンカチが入っていることかな……と思うのですが、箱の中にぎらぎらと重い耀きの雲が入っている感じがすごいです。
なので、結婚祝いのはずなのに、梅の花に烟っている月・きらきらと耀く雲に舞う鳥だけがでていて、ぎらぎらきらきらとしているのが「玉界瓊田(玉の湖)」みたいです。
かなり余談だけど、王闓運の号は「湘綺」でした(号:すごく雑に云うとペンネームみたいなもの)
湘は湖南省のことで、湘水(長江の支流)・洞庭湖(湘水が長江に入るところにある大きい湖)みたいに、すごく大きく水があふれています(綺は綺麗)。なので、「湘綺」でぎらぎらと大きな耀きを湛えながら、重くうねって流れていく水――みたいなふうになります。
王闓運は、湖南省うまれなので、日頃からみていたものがすごく好みに出ているなぁ……とか思ってしまいます(そのくらい徹底している人が好きですが)
というわけで、王闓運の対聯についてみてきましたが、ぎらぎらぎちぎちと重厚な魅力を感じていただけたら嬉しいです。お読みいただきありがとうございました。