明清

閲微草堂筆記 隠れ傑作選Ⅱ

「ぬぃの中国文学資料庫」にご来訪ありがとうございます。

 こちらの記事では、清代の紀昀きいんがまとめた怪談集『閲微草堂筆記』の中から、わたしが好きな話をいくつか訳していきます。

 ちなみに、いままでは自主規制していたのですが、今回はややブラックな話も入れていきます(怖面白い物がけっこう多いので)。なので、予め云っておきますが、それなりに怖いものが入っているため、やや閲覧注意です。

 あと、あまり怖くないver.はこちらにあります♪

閲微草堂筆記 隠れ傑作選 「ぬぃの中国文学資料庫」にご来訪ありがとうございます。  こちらの記事では、清代の紀昀きいんがまとめた怪談集『閲微草堂筆記』の中...

墓の狐たち

河北省蒼州市では、狐をいぶし出す者がいて、火種やわななどを持って、あちこちの墓などをわたり歩いていた。ある夜、わなの陰でうかがっていると、頭に布をまいて緞子の衣を着た人が、墓の中から這い出てきた。

ひゅうひゅうと息をもらしながら、墓から出た人は狐たちをあつめて、藪の中はたちまち多くの狐だらけになった。狐たちは荒くたけりながら、「この悪人を捕えて、釜で煮てしまえ」と盛り上がり、狐燻しの者は逃げられなくなり、木の上にのぼっていた。

緞子衣の者は狐たちにノコギリを取って来させ、木の下でぎこぎこと引き始めた。狐燻しの者はついに万事窮して、「もし見逃していただけたら、二度とこの地は荒しません」と頼んだが、狐たちはさらにノコギリを引きつづけた。何度も頼みこんで、ようやく緞子衣の者が「そこまで云うなら、証文を書いてもらおう」と云ってきたので、証文を書き終わると狐たちもみなどこかに消えてしまった。

この狐や霊は、ものごとの終わらせ方がとりわけ上手いと云えるだろう。もし人と争いつづけていれば、しだいに狐たちの巣は削られていき、わずかな草叢くさむらで一揆同心するばかりで、もし狐たちの力を合わせていれば、この一人を殺すことは容易やすくても、そのせいで多くの人の怒りを招いて、巣穴を掘り返されて野焚きに遭うのは避けられまい。ゆえにわずかに怖ろしさだけを伝えて逃がしてやれば、当面は懲りて、荒らすこともないだろう。

東光有薰狐者、每載燧挟罟、来往墟墓間。一夜、伏伺之際、見一方巾襴衫人、自墓頂出。䰰䰰長嘯、群狐四集、囲繞叢薄、猙獰嗥叫、斉呼「捕此悪人、煮以作脯。」薰狐者無路可逃、乃攀援上高樹。方巾者指揮群狐、令鋸樹倒。即聞鋸声訇訇然。薰狐者窘急、俯而號曰「如蒙見釈、不敢再履此地。」群狐不応、鋸声更厲。如是號再三、方巾者曰「果而、可設誓。」誓訖、鬼狐具不見。此鬼此狐、均可謂善了事矣。蓋侵擾無已、勢不得不鋌而走険、背城借一。以群狐之力、原不難於殺一人。然殺一人易、殺一人而激衆人之怒、不焚巣犁穴不止也。僅使知畏而縦之、姑取和焉、則後患息矣。(『閲微草堂筆記』巻十四)

 道徳臭くて悪趣味って、すごく最高じゃないですか(正邪渾然としているというか)

 ちなみに、「鋌而走険(鋌:走る)」は“追い詰められて無茶をすること”、「背城借一」は“城に立てこもって、最後の抵抗をみせること”です。どちらも現代の中国でも、それなりに慣用表現として出てくるのですが、実は『閲微草堂筆記』ってかなり俗語表現みたいなのが多いです。

 あと、どちらも出典は先秦頃なので、「一」だけで後詰ごづめでのひといくさだったり、「鋌」はもともと「廷(遠くまで引き延ばされた庭)」の派生形として“金属の延べ板”になったのですが、ここでは「遠くまで引き延ばすようにはしる」みたいに、むしろ古い原義が残っています。

先秦と六朝駢文 「ぬぃの中国文学資料庫」にご来訪ありがとうございます。  こちらの記事では、先秦の文体が、六朝の駢文にどのようにつながるのかにつ...

狐女絶艶

わたしの師の裘曰修から聞いた話――。郭という者がいて、なかなかの豪胆者だったらしく、ある秋の宴で、まわりの者と鬼神の有無についての話になったらしい。

郭は鬼神など居らぬと云っていたが、それならあそこの家には昔から出るというから一晩止まってみたまえと云われて、望むところと出かけたらしい。

その家はがらりと大きく、秋草が庭中に生えていて、さやさやと月にゆれていた。戸を閉めて一人で坐っていたが、しばらくは何も起きなかった。しだいに夜がふけてひんやりとしてくると、戸の前に人が立っているようだったので、郭は持ってきた剣を抜いて立ちあがった。

その人はひらりと袖をゆらすと、たちまち郭は口が回らず体も倒れて、変な夢に放り込まれたようになったが、様子はまだはっきりとみえていた。戸の前のひとは深く礼して話し始めた。

「あなたはもともとの豪胆に加えられて、人から焚きつけられてここに至るのでありますが、怖れを為したと思われたくないのは人の常情でございますゆえ、もっともでございます。さて、客人が枉顧いらしたときは、本来は賓主意おもてなしを致すべきではありますが、今日の名月ゆえに、みんなで月を眺めることになっておりまして、あなたがうちに居ては、我々が宴をできません。

もっとも、あなたも夜が遅くて帰れないでしょうから、ここは一つ、あなたには甕にお入りいただきて、人と霊で会わぬままの宴はいかがでしょうか。こちらには幾らかの料理などもございますから、きっと退屈はさせませぬので、ぜひ臨席賜りたく思います――。」

こうして数人ほどが郭を担ぎ上げて大きい甕にいれて、上にはつくえを蓋にして、さらに重い石をのせた。甕の壁をへだてて話し声などがきこえて、数十ばかりもいるだろうか、杯を置く音、箸の音などがいずれもよく聞こえた。そうしていると、蓋の隙き間からわずかに匂いが入ってきて、手元をさぐってみると、酒壺と杯、さらには小料理などもあった。

ちょうど甕の中でしばらく経ったあとなので、ありがたく頂くと、甕を叩きながら小童などが歌っているのがきこえて、「ご主人より、客人をたのしませよとのご用命でございます」とのことだった。

そうしてしばらくして、また甕を叩きながら「郭さま、申し訳ございません。ここの者は皆醉いすぎてしまい、蓋の石が上げられません……。もしお待ちいただけたら、あなたのご友人が朝になって来られるでしょう……」と云って、ひっそりと静かになってしまった。

次の日、門が閉じられたままなので何かあったと思って、郭の友人たちは塀をのりこえて入ってきたが、甕の中で郭の声が聞えたので、なんとかその石をどかすと、郭は甕から這い出した。郭の話をききながら、みんな驚き聴き入っていたが、甕の中の器などをみると、いずれも郭の家のものに似ていた。なので、郭は家に帰ってみると、昨夕きのう餚品つまみなどは、いずれも家にあったもので、大いにしてやられたと思わされた。

果してこのあやかし狡獪こじゃれている。しかし、人を笑わせても嫌な気分にさせないのは、甕を出たときに郭氏を驚かせたと云っても、悪作劇あくしゅみではない

むしろ、真の悪作劇あくしゅみとはこういうものである。かつて陝西あたりに居たとき、ある若者が寺の私塾に通っていたと聞いた。その寺の楼では化け狐がでて、ときに人をばかすと云われており、その若者は「きっとその狐女は絶艶にほひやかなのだろう」と思って、每夕ごとに楼の前にて狐女と会いたいと願っていた。

ある夜に、寺の林をすぎると、小さなめのこが立っていて、どうやらこれが狐女らしいと喜んで、ふと目を合わせた。小鬟めのこはこちらをみて「私のこころがよくお分かりで、くどくどしきことばも要らないのはありがたいお人。娘子わたくしはとても嬉しいのですが、どうしたことか、わたくしの主人がそれをお許しになりません――。あなたは貴人でございますから、あなたをたたることはありませんけれど、娘子わたしが勝手をなさると怒りますの。ですが、今夜は幸いにもお出かけ中でございますから、ぜひご案内させてくださいまし」と云った。

それを聞いて喜んでついていくと、その路はくねくねといくつもの塀や路地を通りすぎて、いままで寺の中からこんな路があるとも思われないものだった。そして、ある一房に至ると、朱のまどは半ば開きて、あかりなどは無かったが、ひっそりと牀帳とばりが下がっていた。

そのめのこは「初めて会ってより、やや靦覥きはずかしい気もしておりましたが、すでにわたしの室中に至りては、どうぞ衣を解かれて、ベッドの上で踊りましょう。お声を立ててはなりません、他のものに聞かれたら困ります」と云って寝台に移るので、いよいよ喜不自禁がまんできずして、ひらひらとしながら、櫻桃さくらんぼをふくめば、さて気がついてみると、室中の調度などもまるで見えずして、そこは塾師の居室だった。塾師は大いに怒りて、こっぴどく叩かれて、やむを得ずして狐女のことを話して、ついに破門されるに至った。これこそ真の悪作劇である。

先師裘文達公言、有郭生、剛直負気。偶中秋燕集、與朋友論鬼神、自云不畏。衆請宿某凶宅以験之、郭慨然仗剣往。宅約数十間、秋草満庭、荒蕪蒙翳。扃戸独坐、寂無見聞。二鼓後、有人當戸立、郭奮剣欲起。其人揮袖一払、覚口噤体僵、有如夢魘、然心目仍了了。其人磬折致詞曰「君固豪士、為人所激、因至此。好勝者常情、亦不怪君。既蒙枉顧、本応稍尽賓主意、然今日佳節、眷属皆出賞月、礼別内外、実不欲公見。公又夜深無所帰、今籌一策、擬請君入甕、幸君勿嗔。觴酒豆肉、聊以破悶、亦幸勿見棄。」遂有数人舁郭置大荷缸中、上覆方桌、壓以巨石。俄隔缸笑語雑遝、約男婦数十、呼酒行炙、一一可辨。忽覚酒香触鼻、闇中摸索、有壺一杯一小盤四、横擱象箸二。方苦飢渴、且姑飲啖。復有数童子繞缸唱艶歌、有人扣缸語曰「主人命娯賓也。」亦靡靡可聴。良久又扣缸語曰「郭君勿罪。大衆皆醉、不能挙巨石。君且姑耐、貴友行至矣。」語訖遂寂。次日、衆見門不啓、疑有変、踰垣而入。郭聞人声、在缸內大號、衆竭力移石、乃闖然出。述所見聞、莫不拊掌。視缸中器具、似皆己物。還家訊問、則昨夕家燕、並酒餚失之、方詬誶大索也。此魅可云狡獪矣。然聞之使人笑不使人怒、當出甕時、雖郭生亦自啞然也、真悪作劇哉。余容若曰「是猶玩弄為戯也。」曩客秦隴間、聞有少年随塾師読書山寺。相伝寺楼有魅、時出媚人。私念狐女必絶艶、每夕詣楼外禱以媟詞、冀有所遇。一夜、徘徊樹下、見小鬟招手、心知狐女至、躍然相就。小鬟悄語曰「君是解人、不煩絮説。娘子甚悦君、然此何等事、乃公然致祝、主人怒君甚、以君貴人、不敢祟、惟約束娘子頗厳。今夜幸他出、娘子使来私招君、君宜速往。」少年随之行、覚深閨曲衖、都非寺内旧門径。至一房、朱槅半開、雖無燈、隠隠見牀帳。小鬟曰「娘子初会、覚靦覥、已臥帳内。君第解衣、径登榻、無出一言、恐他婢聞也。」語訖径去。少年喜不自禁、遽揭其被、擁於懐而接唇。忽其人驚起大呼。却立愕視、則室廬皆不見、乃塾師睡簷下乗涼也。塾師怒、大施夏楚。不得已吐実、竟遭斥逐。此乃真悪作劇矣。(『閲微草堂筆記』巻十六)

 長いけど、トップクラスの面白さがあると思っている……。本筋はそんなに解説することないけど、こちらの訳は、かなり意訳ルビを入れてみました。

 この「意訳ルビ」というのは、江戸時代に中国の明清期の口語を訳したりするときに、けっこう用いられていました(上田秋成とかは『雨月物語』で意訳ルビをけっこう出してきます)。そして、明治~大正期になると、『聊斎志異』『紅楼夢』などにこういう訳がよく出てきます。

 ちなみに、すごくどうでもいいけど、原文の「靦覥(てんてん)」は、恥ずかしがる様子です。これって、実は口語だけで用いられる擬態語なのですが、こういうのを「気恥ずかしい」みたいにあえて毎回ニュアンスを変えて訳すと、とてもおしゃれ&大正ロマンの香りがします(笑)

 さきほどの例でも、先秦ふうの古語的な云い回しが入っていたり、急に現代語っぽい「靦覥」とかが出てきたりと、どこか衒学的なのに俗にくだけた感じもあるのが、日本語の俗語だったり古語だったりをまぜた大正時代ふうの文体に似合っていたのかもです。

駆狐

後漢の費長房は鬼神たちを使役していたが、のちにその霊符を失って、鬼神たちに殺されたという。また、唐の明崇儼も亡くなるに及んでは、賊に胸を刺されて死したというが、日頃の術では防げなかったのか。ある人は鬼神を用いることがとても酷だったので、鬼神に刺されたのだとも云うが。いずれにしても、術者が術に溺れるというのは、よくある話らしい。

劉香畹から聞いた話――。ある僧が禁呪まじないを得意としていた。狐たちはその僧を曠野あらのに誘いだして、数百ばかりで取り囲んだ。僧は法具をふるうと、人の衣をまとった一老狐をはじき倒して、その囲みを脱した。

のちに野途のみちで、そのときの老狐がひれ伏して「さきに殺さずに見逃しをこうむったのは、わたしの行いへの真に善知識でございます。今、わたくしも帰依したく参りました」と云ったので、弟子にしようとしたとき、ある物を僧の顔に投げつけて、ドロンと消えてしまった。

その物は布でもなく革でもなく、めっとりと黄色くて、漆のごとくねばねばとこびりついて、なかなか剥がれず、息もできなくなった。人をよんで何とか剥がさせたが、そのときにかおの皮も剥がれてしまい、その苦しみは凄まじいもので、後に傷が治ってからも、大きい瘡痂あとが残ることになった。

また、ある僧は、門に「駆狐きつねたいじ」の看板を出していて、あるとき狐がおびき出しにあらわれたので、やれこの野狐め現われよったと思いながら、法具をひと振りして禁呪じゅもんを唱えれば、狐はたちまち逃げていった。

数月ほどしてあるをうなが門を叩いて、家が墓の近くにあるせいで、狐に悩まされているというので退治してほしいと頼んで来た。僧は小鏡で照らしてみて、人であることを確かめると、その媼についていった。

そして、川のそばまで来たとき、たちまち僧の持っていた頭陀袋ずだぶくろを川の中に放りこんでしまい、呪符や法具などもことごとく失ってしまった。そして、その嫗は田の間の藪径やぶみちに隠れてしまい、とまどっていると、忽ちにして瓦礫こいし飛撃んできて、駆狐僧の名はつぶれてしまった。

もっとも、幸いにしてわずかに覚えていた禁呪まじないを打って、狐たちは近づけなくなり、なんとか逃げ帰ることになり、次の日には、逃げて身をくらませることになった。

のちにその嫗は土地のひとで、そのむすめが狐と親しく、金を渡されて駆狐僧を騙させられていたと知った。これらはみな術を以て狐をる側が、かえって狐に謀られている話で、狐には策があって僧に備え無く、狐はぐるになっていて僧には援けがないので、術すら足りぬようでは妖物と争うことなどできない。

費長房劾治百鬼、乃後失其符、為鬼所殺。明崇儼卒、剚刃陷胸、莫測所自。人亦謂役鬼太苦、鬼刺之也。恃術者終以術敗、蓋多有之。劉香畹言、有僧善禁呪、為狐誘至曠野、千百為群、嗥呌搏噬。僧運金杵、撃踣人形一老狐、乃潰囲出。後遇於途、老狐投地膜拝曰「曩蒙不殺、深自懺悔。今願皈依受五戒。」僧欲摩其頂、忽擲一物冪僧面、遁形而去。其物非帛非革、色如琥珀、粘若漆、牢不可脱、瞀悶不可忍。使人奮力揭去、則面皮尽剥、痛暈殆絶。後痂落、無復人状矣。又一游僧、榜門曰「駆狐」。亦有狐来誘、僧識為魅、揺鈴誦梵呪。狐駭而逃。旬月後有媼叩門、言家近墟墓、日為狐擾、乞往禁治。僧出小鏡照之、灼然人也、因随往。媼導至堤畔、忽攫其書囊擲河中、符籙法物、尽随水去。嫗亦奔匿秫田中、不可踪跡。方懊悩間、瓦礫飛撃、面目俱敗。幸頼梵呪自衛、狐不能近、狼狽而帰。次日、即愧遁。久乃知嫗即土人、其女與狐昵、因其女賂以金、使盗其符耳。此皆術足以勝狐、卒為狐算。狐有策而僧無備、狐有党而僧無助也。況術不足勝而軽與妖物角乎。(『閲微草堂筆記』巻十二)

 もはや妖退治なんて、寿命売ってお金に代えているようなものですね……。グロい上に怖いというか、今回は悪趣味系の話多いですね……。

ウルムチの花

ウルムチは水と土がゆたかなゆえ、ちいさな草の花と云えどもみな粲盛つややかである。江西蠟エゾギクの五色はみな備っていて、はなは巨杯の如く、ふわふわと花びらも多くして西洋菊の如くで、ちいさなケシも芍薬のように育つ。

温福大学士が兵糧係としてウルムチに来ていたとき、庭のケシたちが、一叢ひとむらだけ色を変じて、花びらは丹塗りの如き深紅色で、その奥は鸚鵡オウムの如き濃緑みどりいろになったことがあり、日の光をうけて灼々ちろちろとして、金の粉をちらしたようだった。これは画工でも出せぬふしぎな色で、まもなく温大学士は福建巡撫に召されることになった。

わたしはその一叢ひとむら彩線いろいとを結びつけておいて、秋にその種を取っておいたが、来年植えてみると、ふつうの花だった。よって、これが瑞祥の花だったのを知ったのだが、揚州で芍薬が金の縁色ふちいろを帯びたことを思わせた。

烏魯木斉泉甘土沃、雖花草亦皆粲盛。江西蠟五色畢備、朵若巨杯、瓣葳蕤如洋菊、虞美人花大如芍薬。大学士温公以倉場侍郎出鎮時、堦前虞美人一叢、忽変異色、瓣深紅如丹砂、心則濃緑如鸚鵡、映日灼灼有光、似金星隠耀、雖画工設色不能及。公旋擢福建巡撫去。余以彩線繋花梗、秋収其子、次歳種之、仍常花耳。乃知此花為瑞兆、如揚州芍薬偶開金帯囲也。(『閲微草堂筆記』巻八)

 ややどぎつい話がつづいたので、綺麗なものを入れてみました。ややグロい極彩色って、綺麗ですよね。

羊神

使用人の王廷佑の母が云っていた話――。幼いときに衛河の近くにすんでいて、あるあさ 起きてみると、両岸でさけぶ声が聞えていた。そのとき水が暴漲あふれるばかり多かったので、もしかして河があふれたのかと思ってみてみると、河のなかに大きな羊が、頭だけを出してうかんでいて、その頭は灯油缶三つばかりもあって、激箭ながれに巻かれながら、北に去っていったらしい。

みていた者はみな「羊神ひつじがみがあらわれた」と云っていたが、私(紀昀)としては、これは蛟螭水龍の類で、首だけが羊だったと思われる。埤雅ひが』という字書では「龍は九つの姿に似ている」とあって、別の説では「首は牛の如し」と云われている。

奴子王廷佑之母言、幼時家在衛河側、一日晨起、聞両岸呼噪声。時水暴漲、疑河決、踉蹌出視、則河中一羊、頭昂出水上、巨如五斗栲栳、急如激箭、順流向北去。皆曰「羊神過。」余謂此蛟螭之類、首似羊也。『埤雅』載龍九似、亦称首似牛云。(『閲微草堂筆記』巻十五)

 ……この巨大感、すごく不気味で良くないですか。ちなみに、「栲栳こうろう」はかごのことです。五斗は、だいたい50Lリットルくらいなのですが、50Lってどんな大きさなのかイメージしづらいので、灯油缶(18L)三つ分は、まぁ当たらずとも遠からずですかね。

 ちなみに、『埤雅ひが』は、北宋の陸佃がつくった字書です(「埤」は、卑と同じで低いことです)。おもに動植物の名などを解説していることが多くて、すごく余談ですが、紀昀の買った『埤雅』には、降霊術で書かれたきれいな詩が入っていたので、なかなかいわくつきです。

猿字

張紫衡の家には小圃にわがあり、假山つきやまがあって、その洞を泄雲洞くものどうとよんでいた。前には菊がたくさんえられていて、山のうらでは鶴を何羽か飼っていた。そして、洞内には王昊廬先生が書いた「秋草は春の花の軽艶かろきに似ずして、塵夢よのゆめも鶴の夢の寂寞しづけさを知らず」とあった。

ある日、洞内の硯がうごかされて、壁じゅうに「秋草は……」が乱し書きにされていた。その字は拗捩欹斜ぐねぐねとねじりまがりて、点画すらまともでなく、下から上へ、もしくは右から左へ書かれたところもあり、へんな形でつながって、変なかたちでとぎれており、字を知らぬものが書いたらしかった。

きっと童稚こどもたちの游戯いたずらだと思って、しっくいを塗りなおして戸をざしておいた。数日ほどして、またみてみると、やはり同じようになっていて鬼魅あやかしのせいだとわかった。一夕あるよる、かりかりと墨をる声がしたので、刀をもって入ってみたら、老猿が一匹とび出してきて、張紫衡を突き飛ばして逃げていった。この老猿は何のために書を学んでいたのかわからない。

怪談などでは文筆にすぐれた鬼魅あやかしが出てくるが、だいたいは死霊か狐であり、死霊はもともと人で、狐もなかなか人のようなところがある。その他のものでは、文辞に心をかけている鬼魅などはほとんど聞かず、大きい蝿や破帚やれほうきのつくった詩などというのは、寓言たとえばなしに近いもので、なかなかの荒誕つくりごとではあろう。

もっとも、この猿は歳を経て神力まで得つつあったらしいが、人の字を学ぶというのは、やはり頑劣おろか本色うまれゆえ、意味などは分からぬままだったのだろう。

外叔祖張公紫衡家有小圃、中築假山、有洞曰泄雲洞。前為尽菊地、山後養数鶴。有王昊廬先生、集欧陽永叔、唐彦謙句、題聯曰「秋花不比春花落、塵夢那知鶴夢長。」頗為工切。一日、洞中筆研移動、満壁皆摹仿此十四字、拗捩欹斜、不成点画。用筆或自下而上、自右而左、或応連者断、応断者連、似不識字人所書。疑為童稚游戯、重堊而鐍其戸。越数日、啓視復然、乃知為魅。一夕、聞格格磨墨声、持刃突入掩之、一老猴躍起衝人去、自是不復見矣。不知其学書何意也。余嘗謂小説載異物能文翰者、惟鬼與狐差可信。鬼本人、狐近於人也、其他草木鳥獣何自知声病。至於渾家門客、併蒼蝿、草帚亦具能詩、即属寓言、亦不応荒誕至此。此猴歳久通霊、学人塗抹、正其頑劣之本色、固不必有所取義耳。(『閲微草堂筆記』巻七)

 この妖魅あやかしが人になろうとしてくる感じが、いい感じに不気味で好きです。もっとも、この話の不気味さは、たぶん「下から上へ、もしくは右から左へ、さらにぐちゃぐちゃと変につながって、ぼとぼと汚く切れている(用筆或自下而上、自右而左、或応連者断、応断者連)」みたいな筆跡の不気味さだと思います。

かみついて殺す

盲人の劉瑞言から聞いた話――。ある盲人で、三十ほどの年だったが、衛河のそばを行き来しているものがいた。舟を泊めている者に出会うと、かならず「おまえはイントウか」ときいていて、さらにつづけて「インは夏殷周のイン、トウは梧桐きりのきトウ」と加えていた。

さらに一緒に泊まったものたちは、その者が夢中でもつぶやくのがその名だと知っていた。その者の名を問うてみると、毎回ちがう名を云うので、しだいに誰もきかなくなっていった

このようにして十年ばかり、多くの人から知られるようになり、しだいに皆 問われる前に「わたしは殷桐じゃないよ」と云うようになった。

ある日、こめを積んだふねが泊まっていたので、盲人はたずねていくと、一人が身をのりだして、「あぁ、おれが殷桐だが、何か用か?」と云った。すると盲人は狂吼如虓虎ぐるるがるらとほえたかり、ひっしりとくびみついて、がちがちと鼻をかじると、血がぼたぼたと地に垂れた

まわりの者はあわてて引き剥がそうとしたが、牢不可開がっちりくみついてはなれずついに河の中におちていき、そのまま流れに呑まれてしまった。のちに天妃宮の前にてそのしたいは引き上げられ、殷桐の左の脅骨あばらはことごとく折れて、それでも手をゆるめなかったらしく、十指はすべて背にぐちぐちと喰い込んでいた。さらに両頰は、ほとんど肉がかじり取られていて、どんな恨みがあったのか分からないが、きっと父母のうらみがあったのかもしれない。

瞽者劉君瑞言、一瞽者、年三十餘、恒往来衛河旁、遇泊舟者必問「此有殷桐乎?」又必申之曰「夏殷之殷、梧桐之桐也。」有與之同宿者、其夢中囈語、亦惟此二字。問其姓名、則旬日必一変、亦無深詰之者。如是十餘年、人多識之。或逢其欲問、輒呼曰「此無殷桐、別覓可也。」一日、糧艘泊河干、瞽者問如初。一人挺身上岸、曰「是爾耶?殷桐在此、爾何能為?」瞽者狂吼如虓虎、撲抱其頸、口齧其鼻、血淋漓満地。衆前拆解、牢不可開。竟共堕河中、随流而没。後得尸於天妃宮前、桐捶其左脅骨尽断、終不釈手、十指摳桐肩背、深入寸餘。両顴両頰、齧肉幾尽。迄不知其何讐、疑必父母之冤也。(『閲微草堂筆記』巻十八)

 もはやひたすら狂気しか感じない系の怖さです。こういう人が人らしさを失っていく系の怖さって、個人的にけっこう怖いと思うのですが……。あと、ひたすらグロいので、いままで自主規制していました……。

 清代の文化的に優美に塗り固めたはずなのに、たまに不気味なほど未整理なものが入ってしまう――みたいな怖さの怪談って、すごく好みなのですが(逆に、『雨月物語』をみていると、未整理な自然への憧れみたいなのがすごく滲んでいるというか……)

枯仙錬形

楊雨亭から聞いた話――。山東省青島市の嶗山ろうざんの深いところでは、木石の間にひとり坐っている人がいて、その身は苔むした木石のような色だったという。しかし、絶えず呼吸いきはしており、目は炯々らんらんとしてえているらしく、どうやらこの子は錬成を学んで、出られなくなったものらしい。

生きるにあらず死するにあらず、木石のごとく生きるなら、かえってひとだまにでもなって漂うほうがまだ良いだろうに、たいてい仙質は生まれつきのもので、仙縁もまた習い得ぬものゆえ、妄意しろうとかんがえで行っては、その害は不一はなはだしい。

これはその良き例にして、ある人が「この者は刀でそのあたまを叩けば、氷の朝日に照らされるように升僊ぬけだしてゆくのだろう」と云っていたが、これも臆度之詞しろうとかんがえで、まったくあてにならない。

楊雨亭言、労山深処、有人兀坐木石間、身已與木石同色矣。然呼吸不絶、目炯炯尚能視。此嬰児錬成、而閉不能出者也。不死不生、亦何貴於修道。反不如鬼之逍遥矣。大抵仙有仙骨、質本清虚、仙有仙縁、訣逢指授。不得真伝、而妄意沖挙、因而致害者不一。此人亦其明鑑也。或曰「以刀破其頂、當兵解去。」此亦臆度之詞、談何容易乎。(『閲微草堂筆記』巻十三)

 これもグロいというか、不気味というか、人間らしさを失っていく系の怖さです。あと、嶗山ろうざんは先秦頃から、多くの方士(神仙に憧れる人)が集まって修行をしていたらしいです。

 というわけで、かなり奇怪な話ばかりを並べてみましたが、不気味さを感じていただけたら嬉しいです。お読みいただきありがとうございました。

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ぬぃ
こちらでは、中国文学のやや深く狭めな話をのせていきます(もっと分かりやすい話は、下のリンク先にあります♪)

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